教育と子どもの世界統計
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学校の「密度」を面積で測る――可住地100km²あたりの学校数という指標の使いどころ

教育と子どもについて、世界の統計を定点観測する

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学校の数え方には複数の分母がある

学校がどれだけあるかを語るとき、多くの人は「学校数」そのものか、「児童生徒あたり」を思い浮かべる。だが統計の世界には、もうひとつ古くからある分母がある。面積である。

総務省の社会・人口統計体系には、可住地面積100km²あたりの小学校数という指標が収録されている。可住地面積とは、山林や湖沼などを除いた、人が実際に住み得る土地の広さを指す考え方だ。行政区域の総面積で割ると、山地の多い自治体は必然的に「学校が少ない」という結果になってしまう。分母を可住地に限定するのは、その歪みを避けるための工夫である。

この指標は、他の国の読者にとっても比較的読みやすい。就学年齢の定義や学校段階の区切りは国によって違うが、「面積あたりに学校がいくつあるか」は、通学距離や施設配置という共通の関心に直結するからだ。

数値そのものを見てみる

今回参照できたのは、北海道札幌市に関する1990年度から1992年度までの値である。いずれも現在の状況ではなく、1990年代初頭の記録として読む必要がある。

項目年度数値
可住地面積100km²あたりの小学校数(札幌市)1991年度44.51校
可住地面積100km²あたりの小学校数(札幌市)1992年度45.40校
幼稚園数(札幌市)1990年度146園
幼稚園数(札幌市)1991年度150園

1991年度から1992年度にかけて、面積あたりの小学校数は44.51校から45.40校へと動いている。幼稚園数は1990年度の146園から1991年度の150園へと変化した。いずれも、ごく短い期間を切り取った断片である。

この差をどう扱うか

0.89校という差を「増えた」と表現することはできる。ただし、その言葉が何を意味しているかは慎重に扱いたい。

面積あたりの学校数が変わる理由は、少なくとも三つに分けて考えられる。第一に、分子である学校の数が変わった場合。第二に、分母である可住地面積の把握が変わった場合。土地利用の区分や測定の方法が更新されれば、学校を一校も建てなくても数値は動く。第三に、市域そのものが変わった場合である。

どれが効いているのかは、この指標だけを眺めていても判別できない。学校数の実数、可住地面積の実数、そして自治体の区域の履歴を並べて初めて、変化の中身が見えてくる。逆に言えば、比率を一つだけ取り出してランキングにしたり、時系列のグラフにして傾きを語ったりする作業は、この三つの区別を飛ばしてしまいがちだ。

幼稚園数と並べるときの注意

上の表では、面積あたりの小学校数と、幼稚園の実数を並べている。しかしこの二つは性格が違う。前者は比率で、後者は実数だ。単位が異なるものを同じ表に置くと、視覚的には「どちらも増えている」と読めてしまう。

また、小学校と幼稚園では設置の主体や制度上の位置づけが異なる。園や学校の開設・閉鎖が起こる速さも同じではない。並べて眺めること自体は有益だが、片方の動きからもう片方を説明しようとすると無理が出る。

面積指標が答えられること、答えられないこと

面積あたりの学校数が示すのは、あくまで「配置の粗密」である。それは通学の負担や、統廃合を考える際の出発点にはなる。

一方で、この指標は学校の規模を教えてくれない。1992年度の札幌市のように100km²に45校あっても、その一校ずつが大規模校なのか小規模校なのかは分からない。児童数も、教員の配置も、施設の状態も含まれていない。密度が高いことが、そのまま通いやすさや学びの条件の良さを意味するわけではない。

さらに、子どもがどこに住んでいるかという情報も入っていない。可住地に均等に人が住んでいる前提が置かれているわけではないからだ。市街地に人口が集中している地域では、面積あたりの密度と、実際の子どもから見た学校の近さは、かなり食い違い得る。

まとめ

面積を分母にした指標は、人口あたりの指標では見えない側面を照らす。ただし、比率は分子と分母の両方が動く。どちらが動いたのかを確かめないまま「増減」を語れば、統計の更新を現場の変化と取り違えることになる。

そして、ここで見た44.51校・45.40校や146園・150園は、あくまで1990年度から1992年度にかけての値である。参照できた年度が限られているとき、無理に傾向を読まず、現在の姿としても語らないことが、統計との付き合い方のひとつである。

出典